"私を笑った義母が、帰り際に「結婚しないで」と手紙を残した" 第15話
いつもえられていた髪が乱れ、ネクタイが曲がっている。
「本当にくのかよ……? だぞ? 、俺たちが積みげてきたものは何だったんだよ! うちののルールがし厳しかったくらいで……たったそれだけのことで、全部捨てるのか!?」
くが、怪訝そうにこちらをチラリと見る。 直はもう、周囲の目を気にする余裕すら失っていた。
私は、静かに首を横に振った。
胸の奥にあるのは、りでも、しみでもない。 ただ、広な凪のような静けさだった。
「私が諦めたのは、あなたとの未来じゃない」
乾いたのが、のを吹き抜けていく。
「私だけがする未来よ」
直の瞳が、見かれた。 唇がさく震え、何かを言いかけようとして、言葉を失っていく。
「さようなら、直」
私は踵を返し、歩きした。
度と、振り返ることはなかった。
婚約破棄に伴う処理は、淡々と、事務にんだ。
式のキャンセル料、配済みだった招待状やドレスの違約。 私の代理を務めてくれたの弁護士を通じて、契約に基づき過なく費用を精算した。 慰謝料を請求して沼の裁判にするつもりはなかった。 銭のやり取りを実に、あの男やあの族とこれ以関わり続けること自体が、私のの損失だったからだ。
直からは、最初の週、夜に何通ものメッセージが届いた。
『悪かった』 『考え直してほしい』 『親とは縁を切ってもいい』
だが、そのどれもが、自己保の言葉にしか見えなかった。 私は度も返信することなく、弁護士を通じて「これ以の直接の連絡は法続きの対象となる」旨の内容証を送った。
それきり、連絡は完全に途絶えた。
季節は巡り、の底が抜け、京都のに柔らかなのが満ち始めた。
烏丸御池の事務所には、以と変わらない常が戻っていた。 朝、ドリップコーヒーのりを漂わせながら図面を広げ、現へを運び、職たちと資材の納まりについて議論を交わす。
式を挙げるはずだった予定は、とっくに過ぎていた。
そのの午、事務所のポストに枚の葉が届いていた。 差の欄には、見覚えのある、わずかにに傾いた万の文字。
——森川千鶴。
切の貼られたシンプルな絵葉。 そこには、い文章だけが綴られていた。
『あの料亭で、あなたが度も振り返らずにてかれた姿を見て、私にもまだ選べることがあるのかもしれないといました。
先、夫と義父に、親戚同の寄りいの準備をすべてで背負うのはやめると伝えました。鳴られましたが、部をて、民講座の裁教へ通い始めました。
私のこれまでの罪が消えるとはっていません。 あなたに許してもらおうともっていません。
ただ、あなたのおかげで、私はぶりに自分ので息を吸っています。
どうか、お元気で。素らしい空を、これからも作り続けてください』
葉の文字を、指先で静かになぞった。
目がしだけくなった。 けれど、私は返信をくためにペンを執ることはしなかった。
あのは、千鶴さんの免罪符ではない。 そして、あののこれからのを救うのは、私ではない。 千鶴さんが、千鶴さん自の選択として引き受けていくべきものだ。
私は絵葉を、デスクの番い引きしの奥へと仕い込んだ。
夕暮れ、事務所をて条烏丸の交差点へ向かう。 の宵のが、コートの裾をよく揺らした。
をき交う々。 誰かの期待や、古いの掟や、見えない呪縛に縛られてきるには、はあまりにもく、尊い。
誰かがになるを待たなくても、私のは、今の私が決めていい。
沈みゆく夕に照らされた京都の空を見げながら、私はを向いて、力く歩きした。