"家族はすき焼き、義姉だけが台所で水かけご飯を食べていた" 第12話
そして、直の目ののテーブルに、音もなく滑らせた。
「……何、これ?」
直が怪訝そうに眉をひそめ、を広げた。
その瞬。
直の顔から、すべての表が剥ぎ取られた。
目が見かれ、唇が刻みに震え始める。
に持ったが、カサカサと音をてて波打った。
『今言ったら、確実に破談になる。入籍さえ済ませて活が始まれば、遥だってが湧いて受け入れてくれるはずだ』
印字された自分の言葉を、直はただ凝していた。
「……これ、どこで……」
「由さんからよ」
私の声は、内のクラシック音楽よりも静かだった。
「結婚するから、話さないと決めていたのね」
「遥、これは……違うんだ、あのはパニックになってて……」
「何が違うの?」
私は直の目を、逃げを塞ぐように真っ直ぐに見据えた。
「タイミングがなかったんじゃない。言う勇気がなかったんでもない。あなたは最初から、私を騙して入籍させる計画をてていた。そうでしょう?」
「違う! 俺はただ、遥と結婚したかったんだ!」
直がを乗りし、掠れた声で叫んだ。
周囲の客が、ちらりとこちらを振り返る。
けれど直は、もう周りの目など気にしていられないようだった。
「言ったら、おは絶対に断るだろ!? も付きって、やっと見つけた幸せだったんだよ! 俺だって、幸せになりたかったんだ!」
俺だって、幸せになりたかった。
その言葉を聞いた瞬、私ののにあった、夫へのわずかな憐憫すら完全に蒸発した。
「あなたの幸せのために」
私は、氷のようにたい声で返した。
「どうして私が、嘘をつかれなきゃいけなかったの?」
直のが、半きのまま止まった。
「あなたの幸せのために、どうして私の選択する権利が、私のが、踏みにじられなきゃいけなかったの? 答えてよ、直」
直は何も言えなかった。
喉をゴロゴロと鳴らしながら、ただ息を吸い、吐くだけの置物のように固まっていた。
「私の料をあてにして、子どもの養育費の滞納を穴埋めしようとしたことも。お義母さんと結託して、籍を入れてから既成事実で私を縛ろうとしたことも。全部、あなたの『幸せ』のためだったのね」
「……ごめん」
直の目から、粒の涙がボロボロと溢れした。
テーブルのに落ちたを、涙が濡らしていく。
「ごめん、遥……本当に、ごめん……。俺が違ってた。最なだよ、俺は。でも、遥をしてたのは本当なんだ。それだけは信じてくれ……!」
両をわせ、子どものように泣きじゃくる直。
かつてした男の、あまりにも無残で醜い姿。
私は、めた茶のカップを静かに置いた。
バッグから財布を取りし、自分の分の伝票に千円札を添える。
席をとうとした私のコートの裾を、直が震えるで掴んだ。
見ろすと、直は涙でぐしゃぐしゃになった顔を歪ませ、絶望に満ちた目で私を見げていた。
「……もう、してくれないの?」
掠れた、今にも消えそうな声だった。
私は、直のをそっと、けれど切の力を残さず振り払った。
そして、どこまでも凪いだで、こう告げた。
「私がしていたあなたが、本当はどんなだったのか、分からなくなったの」
喫茶のいドアを押しけると、夜の気が気に頬を打った。
背から追いかけてくる音はなかった。
振り返ることもせず、私は駅の改札へとを速めた。
指先はえ切っていたけれど、胸の奥は議なほど静まり返っていた。
泣き喚く気力も、りに任せて何かを壊したい衝もない。
ただ、界を遮っていた分いがれて、元に穿たれたい落とし穴の輪郭が、くっきりと見えただけだった。
あのは、言えなかったのではない。
あえて言わないことを、選び続けていた。
私が自分の志で逃げせないように、入籍という法な枠で囲い込み、をかけて既成事実にしてしまおうとしていた。
その勝な計算を「」だと呼ぶ男を、私はもう秒たりとも信じることはできなかった。
翌週から、私はを完全に排していた。
勤務先の総病院のくにある法律事務所を訪ね、弁護士にこれまでの経緯をすべて話した。
直と由さんのメッセージのスクリーンショット。
入籍に子どもはいないと断言していたやり取り。