"妻を平手打ちした夫が、30分後「娘には言うな」と懇願した" 第5話
「……うん。こう、結」
私が頷くと、結は初めて、わずかに堵したような顔を見せた。
ホテルの寄せをて、結が止めたタクシーに乗り込む。夜ののネオンが、窓を滑るように流れていく。
頬の痛みは、を追うごとに鋭さを増していた。触れるだけで激痛がり、をけることすら億劫だった。
私の膝ので、スマートフォンが再び震えだした。画面を伏せようとしたが、次々と届くメッセージのプレビューが暗い内に青く浮かびがる。
『おい、どこにいる。ホテルのを探してもいないぞ』『酒が入っていて、し元が狂っただけだ。おだって、あので突っかかるようなことを言ったのが悪いんだろう』『会社での俺のをしは考えろ。次期役員の話がている事な期なんだ』『結には、夫婦のちょっとしたき違いで、したことじゃないと俺から説する。おからもそう言え。いいな?』
文字を追うごとに、私ので何かがたく、完全に凍りついていくのが分かった。
謝罪ではない。これは、保のための指示だ。
殴った理由は「酒のせい」と「私の態度」。配しているのは「自分の役員昇」。そして娘には「妻からも嘘をついて取り繕え」。
この期に及んで、まだ私を自分の具として使えるとっている。私がこれまでのように、「はい、わかりました」
とを被ると信じ込んでいるのだ。
「見せて」隣に座っていた結が、私のからスマートフォンを取りげた。画面をスクロールしていく結の横顔が、りで青く張っていく。
「……信じられない」結は吐き捨てるように呟いた。「じゃないよ、この」
そのだった。
内に、けたたましい着信音が鳴り響いた。画面に表示された名は――『義母』。
結と私の線が交差する。私はく息を吸い、通話ボタンを押して、そのままスピーカーフォンに切り替えた。
逃げるのは、もうやめだ。このたちが私をどう扱ってきたのか、その現実から目を逸らすのは、今夜で終わりにする。
通話が繋がった瞬、鼓膜を劈くような甲い声が、タクシーの静寂を叩き割った。
『美紀さん! あなた、今どこをほっつき歩いてるの!』
息をつくもなく、義母の罵声が崩のように浴びせかけられる。
『浩から聞きましたよ! 会から勝にいなくなったんですってね! 勢の社員や役員がいるで夫に恥をかかせて、今度は職放棄ですか?! どれだけ浩の顔にを塗れば気が済むの!』
運転がバックミラー越しに、驚いたようにこちらをチラリと見た。私は無言のまま、スピーカーを見つめ続けた。
『体ね、男のがで若いお嬢さんとお酒をむくらい、仕事の付きいなら当たりでしょう! それをも半ばを過ぎた女が、みっともなく嫉妬して絡むなんて恥をりなさい! 浩のが当たったのだって、あなたが夫を苛たせるような気なを利いたからじゃないの!』
「……が当たった、ですか」私がく呟くと、義母はを鳴らした。
『そうよ! ちょっとが滑っただけで騒ぎして! いいから今すぐ浩のところに戻って、座して謝りなさい! 今夜のうちに夫婦でをげて回れば、まだ体面は保てるんだから!』
義母の呼吸が荒くなる。そして、トドメを刺すように、酷な宣告が投げつけられた。
『今すぐ戻らないならね、美紀さん。佐藤の敷居は度と跨がせないからね! きを失って野垂れにたくなかったら、妻としての務めを果たしなさい!』
内が、凍りついたような沈黙に包まれた。
義母はまだ何か喚いていたが、結が私のからスマートフォンを奪い取ると、赤い終話ボタンを迷うことなく叩き押した。
ツーツーという械音が、静まり返ったタクシーのに虚しく響く。
結の肩が、激しくしていた。娘は携帯を握りしめたまま、方の暗いを見つめ、震える声で言った。
「……お母さん」
「うん」
「もう、あのには帰らないで」
私はの頬にを当てた。ズキズキとした痛みの奥で、議なほどが冴え渡っていくのをじていた。
の鎖が、音をてて千切れていく。
「帰らないよ」私は、自分でも驚くほど静かな声で答えた。