"妻を平手打ちした夫が、30分後「娘には言うな」と懇願した" 第16話
通話を叩き切る。莉奈は荒い息をつきながら、握りしめていた内容証を見つめた。
このまま浩と運命を共にすれば、自分はただの「倫の末に会社を追われた恥らずな」として社会に抹殺される。慰謝料百万円を背負わされ、キャリアも失う。
助かるは、つしかなかった。
莉奈はバッグを掴み、ちがった。向かう先は、自宅ではない。会社の総務部――『コンプライアンス相談窓』だった。
「私は騙されていた。司という優越なを利用され、既婚の事実を隠されて関係を迫られた被害者だ」
そう主張して、浩から送られてきた過の甘ったるいLINEと、ホテルや事の領収をすべて会社に提する。自分がき残るために、あの男の首を差しす。
オフィスのたいが吹き抜ける夕暮れのを、莉奈はハイヒールを鳴らしてりした。
午半。直子のマンションのリビングには、穏やかなピアノの曲が静かに流れていた。
テーブルのには、栗原弁護士から送られてきた『婚協議(案)』のファイルが広げられている。
財産分与。現夫の名義になっている郊の戸建て宅の売却と、宅ローン控除の残債精算。預貯の折半。そして、のの分割請求。
つつの数字が、かつて私が流した汗と涙の対価として、厳密に算されていた。
「これに浩がサインすれば、すべて終わるわね」直子がハーブティーを私のに置きながら言った。
「サインするかしら」私は温かいカップに両を添えた。「あのは、自分の非を認めることが何よりも耐えられないよ。最まで私を悪者にしようとするはず」
「もう、そんな余裕はないとうわよ」直子が敵に微笑んだ。「さっき、病院の系列グループのりいから連絡があったの。浩さんの会社、騒ぎになってるらしいわ」
「え……?」
「今の午、川莉奈がコンプライアンス窓に駆け込んで、浩さんからの『パワハラおよびを利用した関係の』を告発したんですって。同に、ホテルの防犯カメラの映像が役員会に提されて……浩さん、今の夕方付で営業部を解任、総務部付の自宅待処分になったそうよ」
カップを持つ私のが、わずかに止まった。
営業部の解任。自宅待。
それは、夫が何よりも執着し、私の尊厳を踏みにじってまで守ろうとした「社会位」の、完全な崩壊をしていた。若いを庇った結果、そのに背から刺され、娘に見限られ、会社から放りされたのだ。
憐れみは、湧いてこなかった。胸の奥を通り抜けたのは、ただえ切った、の始まりのようなだった。
そのだった。
テーブルのに置かれた私のスマートフォンが、けたたましい音をてて振した。
非通設定の着信。画面の向こうから、ただならぬ狂気が滲みているようだった。
直子と線を交わす。私は録音ボタンを押すよう直子に図し、通話ボタンをスワイプした。そして、スピーカーフォンをオンにする。
通話が繋がった瞬、受話器の奥から聞こえてきたのは、荒い、獣のような呼吸音だった。
背景には、酒の騒音と、の音が混ざりっている。からかけているのだろう。
『……美紀か』
声は、酒で完全に潰れていた。ドスの利いた、だが隠しようのない震えを帯びた、夫の声だった。
「何の用ですか」私の淡な返答に、話の向こうで男がく笑った。壊れた械のような、狂気じみた笑い声だった。
『何の用だ、だと……? よくそんなが利けるな、美紀……!』
次の瞬、スピーカーが割れんばかりの号が炸裂した。
『莉奈が会社に全部バラしやがった! 俺をパワハラで訴えやがったんだよ! 事からは自宅待を命じられた! 来期の取締役どころか、懲戒解雇の能性までている! 結には着信拒否されて、親戚からはい目で見られて……!』
唾をばしながら喚き散らす夫の息遣いが、々しく伝わってくる。
『全部おのせいだ!! おがあの、パーティーでしく引きがっていれば! おが弁護士なんかに駆け込まなければ! 俺がここまでの目に遭うことはなかったんだ!』
自分の倫も。