"サンダル履きの妻を、夫が売る日" 第1話
週末の昼がり。
会社の裏にある古い定の引き戸をけると、煮干し汁の湿った湯気が顔を包んだ。
「真紀ちゃん、お疲れさん。今も休勤かい?」
厨の奥から、髪の主が使い古した布巾でを拭いながら声をかけてくる。
「ええ、末の納品データがどうしてもわなくて。しだけ確認に」
「精がるねえ。いつものきつねうどんでいいかい?」
「お願いします」
履き古したフラットなサンダルを脱ぎそうになりながら、窓際のさな掛けの席に腰をろした。
褪せた麻の半袖シャツに、洗いざらしの綿パンツ。
化粧気のない顔に、ろで無造作に束ねた髪。
歳、品流通会社の業務コーディネーター。
勤続。
現の配送トラックが事故に遭えば夜でも代を配し、産の台で野菜の入荷が滞ればをげて代替ルートを繋いできた。
休に誰に見せるわけでもない姿など、きやすければそれで分だった。
運ばれてきた丼からちる湯気を眺め、割り箸を割った、そのだった。
ガラガラ、と引き戸が乱暴にく。
狭い内に、違いな属音が響いた。
カツン、カツンとを叩くいヒールの音。
「……何ここ。煙くさい」
主への会釈もなしにを踏み入れてきたのは、代半ばほどの女だった。
完璧にブローされた茶髪に、仕てのいい濃紺のノースリーブワンピース。
には誰もがる級ブランドのバッグが握られている。
内にはに空席がつあった。
それなのに、その女は迷うことなく私の席へ歩いてくると、向かいのパイプ子を無言で引いて腰をろした。
相席を頼まれるほど混みってはいない。
私は箸を止め、怪訝に眉を寄せた。
「あの、何かご用でしょうか」
女は私の顔をまともに見ようともしなかった。
線はまっすぐに、テーブルのへ落とされる。
私の元にある、砂埃のついたサンダル。
そして、毛羽った麻のシャツ。
女の形のいい唇が、皮肉に歪んだ。
「……ずいぶん貧乏くさい格好ね」
喉の奥が、すっとたくなった。
見覚えのない顔だった。
隣の民でもなければ、取引先の担当者でもない。
「違いではありませんか?」
を切乗せず、声のトーンだけを落として問い返す。
だが女は、にした革の袋をテーブルのに放りし、勝ち誇ったようにを鳴らした。
「いいのよ、惚けなくて。来週から私ので働く契約社員のさんでしょう?」
……?
まったく当たりのない名だった。
だが、訂正しようとをきかけた私の言葉を、女は差し指をてて遮った。
「最初に言っておくけれど、私は京の商社でマネジメントをやってきたの。あなたたち方の請け気質のとは、見てきた世界が違うのよ」
テーブルので、女のいネイルがトントンと乾いた音をてる。
「契約通りの仕事だけやればいいなんてわないでね。来週からは私の指示が最優先。現の雑務も、夜の受発注トラブルも、全部あなたの担当。それから――」
女は私の目をたく見据え、信じられない言葉を平然と言い放った。
「あなたがこれまで抱え込んできた既顧客のリスト、全部週け番に私へ引き渡しなさい。誰のおかげでこの会社にいられるか、初に骨の髄まで分からせてあげるから」
臓が、度だけきくねた。
りではない。
指先から全へ、氷のような静さが染み渡っていく覚。
……契約社員の?
……既顧客のリストを全部引き渡せ?
が社が途採用の管理職候補を募集しているのは事実だ。
だが、その最終選考はまだ終わっていないはずだった。
ましてや、入社すらしていない部のに、かけて築きげた卸売ネットワークの顧客報をけ渡す権限など、社内規定のどこを探してもしない。
「お名を伺っても?」
私は伸びかけたうどんの箸を置き、穏やかに尋ねた。
女は馬鹿にしたように顎をしゃくった。
「理よ。来週からあなたの『司』になる。これくらい言えば、自分のが理解できたかしら?」
自分の。
その言葉の滑稽さに、角がわずかにがりそうになるのを元で抑え込んだ。