"娘が義母に叩かれた日、娘婿はケーキで済ませようとした" 第13話
美咲に渡します。迷惑をかけた慰謝料の代わりに……」
「いいえ」
美咲が遮った。その声には、拒絶のたさではなく、徹底した公平さがあった。
「払ったものを、払っていないことにはしないわ。あなたが拠した事実は事実として、きちんと清算したいの。当なおも、けのおも、円も受け取りたくない」
直さんは息を呑み、力なく線を落とした。
けすら受け取ってもらえない。妻は、自分とのを、ミリの貸し借りも残さず、完璧にゼロへ戻そうとしている。その徹なまでの誠実さが、直さんの胸を締め付けた。
「……分かった。美咲の言う通りにする」
直さんは震えるでペンを取り、婚協議と財産分与のに、文字ずつ署名し、実印を捺した。
朱肉の赤い丸が、のに静かに沈んでいく。の婚姻関係が、公な続きによって、跡形もなく解体された瞬だった。
続きがすべて終わり、弁護士が退席した、直さんは子からちがらなかった。じっとテーブルの目を見つめ、やがて美咲に向かってをげた。
「美咲」
「何?」
「俺さ……ずっと勘違いしてた」
直さんの目から、静かに涙が溢れ、机のにポタリと落ちた。
「同じ根のにんでいれば、それで族になれてるんだとい込んでたんだ。に帰って、同じテレビを見て、ご飯をべていれば、何もしなくても夫婦でいられるんだって」
美咲は何も言わず、元夫の言葉を受け止めた。
「緒にんでいるだけじゃ、族にはなれないよ」
美咲の声は、どこまでも穏やかだった。
「互いの尊厳を守って、傷ついたに番に方になって、初めて族になれるのよ。……あので、私はずっとだった」
直さんは両で顔を覆い、肩を刻みに震わせた。
「すまなかった……本当に、すまなかった」
言い訳は、もうつもなかった。妻がどれほどの孤独ので耐えていたのか、その痛みのさを、男は今、失うことでしかることができなかった。
美咲は静かにちがり、鞄をにした。
「直さんも、お体に気をつけて」
それだけを告げると、美咲は度も振り返ることなく、応接の扉をけててった。
私もちがり、々とをげる直さんのを通り過ぎた。背から微かに漏れ聞こえる男の啜り泣きを、な製のドアが静かに遮断した。
その、続きは流れるようにんだ。
直さんは約束通りの期までに、美咲のからすべての私物を運びした。弁護士を通じて鍵が美咲の元へ返還された週末、私たちは売却の打ちわせを兼ねて、空っぽになったを訪れた。
玄関をけると、かつてち込めていた線の匂いも、活の雑音も、完全に消えっていた。
リビングの央につ。
具がすべて運びされ、フローリングには焼けの跡と、具が置かれていた窪みだけが残されていた。
美咲が切にしていたオーク材の机も、すでに買い取られ、ここにはない。
「……静かね」
私が横から声をかけると、美咲は部のをゆっくりと見回した。
「にも、同じことを言ってたわよ。あの仮まいの部に入った」
「違うの、お母さん」
美咲は首を横に振り、ふっと柔らかく微笑んだ。
「何が違うの?」
「今は本当に私のだから、静かなのよ」
その声に、かつての怯えや戸惑いは微もなかった。誰かに脅かされることもなく、誰かの顔を窺うこともない。自分の尊厳を取り戻しただけが宿すことのできる、絶対な静寂だった。
「売るのね?」
「ええ。未練はないわ。このは、私が自分の力できていくための資に変える」
数週、産仲介業者を通じては売りにされ、無事に買いがついた。宅ローンの残債を完済し、仲介数料を支払い、直さんへの改修費百万円を返還しても、美咲の元にはまとまった資が残った。
誰の施しでもない。娘が独代から働き、自らの力で守り抜いた正当な財産だった。
直さんは勤務先のくに頃な賃貸アパートを借り、暮らしを始めたそうだ。週末には実へ通い、典子さんの病院の付き添いや買いしをでこなしているという。
だが、度と同居することはなかった。