"古希の夜、二人の嫁は手を引いた" 第10話
織はお好しで、根が優しい。 だからこそ、良太のような男に何も搾取され続けてきたのだ。
「……もういいわ」
私はく告げた。
「あなたが婚調を取りげて、良太さんとお義母さんの元へ戻るというなら、それはあなたの自由よ。止める権利は私にはない。でも、私のとお義母さんの老は別問題よ。私の境界線は、誰が泣こうとミリもかさない」
『お義姉さん、待ってくだ――』
私は通話を切った。
ホームを吹き抜けるが、コートの裾をたく揺らす。 胸の奥に、く鈍い痛みが広がっていた。 義母の孤独や恐怖が本物だったとしても、それが私の尊厳を踏みにじっていい理由にはならない。 なぜ、女ばかりがのさの帳尻をわせなければならないのか。
い取りで改札を抜け、夜を歩いて自宅へと戻った。
鍵をけ、玄関の引き戸を引く。
「……ただいま」
暗い廊に向かって呟いた瞬、奥のリビングからバタバタと慌ただしい音が響いた。
リビングのドアが勢いよくく。
そこにっていたのは、夫ではなかった。
「……お母さん?」
きなバックパックを背負った、娘の音だった。 県の学に通い、暮らしをしているはずの娘が、驚いたように目を見張って私を見つめていた。
「音……? どうして、連絡もなしに……」
音は靴を脱いだまま、玄関のがり框にち尽くしていた。
その瞳には、かつてないほど真剣で、どこか怯えたようなが宿っていた。
「お父さんからLINEが来たの。『おばあちゃんがてった』って」
音は息をえ、私の顔を真っ直ぐに見据えた。
「お母さん。……私、ずっと言えなかったことがあるの。おばあちゃんのこと」
「おばあちゃん、夜にで台所に座って、泣いてたよ」
音のから零れ落ちた言葉のが、すぐには理解できなかった。
玄関のえ切った空気のに、娘の静かな声だけが沈んでいく。
背負ったままのきなリュックサックのみに耐えるように、音はきゅっと肩をすぼめていた。
「……音、それ、いつの話?」
「私が学のかの。……おじいちゃんが、脳梗塞で倒れて子になった頃」
私は元の鍵を靴箱のに置き、娘の靴の汚れを見つめた。
。
私が医療器メーカーで主任に昇し、製品のちげで連終くまで残業していた期だ。
「夜に喉が渇いて、おをみに階へりたの」
音はスニーカーを脱ぎ、板張りの廊へがった。
リビングのドアをそっと閉め、きりの空を作る。
「台所の気が消えてて、勝の灯のかりだけが入っててね。おばあちゃん、にペタンと座り込んで、両膝を抱えて背を丸めてた。声をさないようにして、肩を刻みに揺らして……泣いてたの」
喉の奥が、ぎゅっと締め付けられるような覚がした。
「私、びっくりして『おばあちゃん、どうしたの?』って声をかけたんだ。そしたらおばあちゃん、慌ててエプロンで顔を拭いて、笑ったの。『なんでもないよ、ちょっと疲れちゃっただけ』って」
音はダイニングテーブルの子を静かに引いて腰をろした。
私もその向かい側に座る。
の記憶を辿る娘の横顔は、もうすっかりの女性の輪郭をしていた。
「でもね、そのあと、おばあちゃん、私のを撫でながらボソッと言ったんだよ」
音の線が、真っ直ぐに私を射抜いた。
「『ここは千里さんのだからね。おばあちゃんは、本当の族じゃない気がするのよ』って」
胸の奥に、たい氷の破片を突きてられたような痛みがった。
「……お義母さんが、そんなことを」
「うん。子供に、すごく怖かったのを覚えてる。おばあちゃんは毎ご飯を作ってくれて、私のピアノの送り迎えもしてくれて、おじいちゃんのおむつも替えてた。誰よりもこので働いてたのに、自分のじゃないってってたんだって」
音は両をテーブルのでね、く息を吐いた。
「だからね、お母さん。お父さんから『おばあちゃんがをてった』って連絡が来た、私、なんとなく分かっちゃったの。おばあちゃんはずっと、このので自分の居所を証したくて必だったんじゃないかなって」
「……」
「でもね」
音の声のトーンが、わずかにくなった。