"もう私を「お母さん」と呼ばないで" 第5話
の堤防が決壊しかけている。
「俺のだぞ。俺の族の歴史だ。……それを、おがで抱え込んで、おの都のいいタイミングで切り落とすのか? 俺には、自分の母親がどうやってんでいったのかをる権利すら、なかったっていうのか!」
「拓也……お願いだから、お母さんの話を……」
咄嗟にをついてた言葉に、自分自で息を呑んだ。
「……お母さん?」
拓也の顔が、りと侮蔑で激しく歪んだ。
「母さんって呼ぶなと言ったのは、おの方だろう!」
号が、古い造の井を突き破らんばかりに響き渡った。
の奥がキーンと鳴る。私は両を握りしめ、爪を皮膚にい込ませた。
「……ごめんなさい。でも、私はあなたを騙すために育てたんじゃない。……していたのは、本当なのよ」
言ってしまってから、血の気が引いた。
もっとも言ってはならない言葉だった。自己保の、最悪の言い訳。
案の定、拓也の瞳に宿っていたが、完全な侮蔑へと変わった。
「育ててくれたことには謝している」
吐き捨てるような、氷の刃。
「朝く起きて弁当を作ってくれたことも、学費を面してくれたことも、全部覚えているよ。……でもな、育ててくれたことを、免罪符にするな」
拓也は歩、踏み込んできた。板がギシリと軋む。
「おが俺をしてくれたからって、俺の実の母親がわった獄が消えるわけじゃない。
……育ててくれた恩で、俺から実の母親のためにる権利まで奪うな!」
言葉がなかった。を槌で殴られたような衝撃だった。
私はずっと、という名の荷を、この子の背に背負わせていたのだ。「こんなにしてくれたのだから、許さなければならない」という無言の呪縛。それは恩返しなどではなく、加害者が被害者の遺児に仕掛けた、もっとも残酷な質劇だった。
私はちがり、箪笥の引きしからさな片を取りした。枚のメモと、あの未投函の黄ばんだ。
テーブルに歩み寄り、拓也の元に置く。
「……真由美さんの妹の、恵子さんの連絡先よ」
拓也の線が、片に落ちる。
「私の言葉は、もう信じなくていい。……真由美さんがどんないで病院のベッドにいたのか、恵子さんなら全部っているはずだから」
拓也は微だにしなかった。だが、その拳はくなるほどく握りしめられていた。
数秒の沈黙の、拓也は屈み込み、メモとを乱暴に掴み取った。
そのまま背を向け、玄関へと歩きす。
「拓也」
呼び止めてしまった。だが、かけるべき言葉など、この世のどこにもしなかった。
拓也はち止まり、振り返りもせずに言った。
「……もう、度と俺のに現れないでくれ」
扉がく。のたいの匂いが、瞬だけに流れ込んだ。
そして、激しい音をててドアが閉まった。
翌の夕暮れ、黒話のけたたましいベルが鳴り響いた。
受話器を取るが、微かに震える。
『もしもし、佐藤静子さんですね』
く、落ち着いた、だがややかな女性の声。の歳をび越えて、あの御茶ノの喫茶で聞いた姉の声が、の奥に蘇った。
「……恵子さん、ですか」
『昨、拓也がに来ました』
恵子さんは名乗ることもなく、単刀直入に切りした。
『あの子、私ので、言も喋らずに震えていましたよ。……ようやくをいたとったら、姉さんのを見せてくれって』
受話器を握る指先に、じわりと汗が滲む。
『会えますか。今から。……神保町の、昔の喫茶で』
拒否する権利など、私にはなかった。
指定されたのは、学の片隅にある、古びた喫茶だった。暗い内にはジャズが静かに流れ、珈琲の苦いりが漂っている。
番奥のボックス席に、恵子さんは座っていた。歳。真由美さんによく似た、涼やかな目元。だがその双眸には、姉よりもずっと剥きしの、鋭い敵が宿っていた。
私が席に着くと、恵子さんは注文したばかりの珈琲のカップを、スプーンでさく鳴らした。
「……余逃げ切って、ようやくを割ったのね」
挨拶すら省いた、酷な先制攻撃だった。
「拓也から、全部聞きました。あの写真の付も、あなたのも。……よくもまあ、あの子がになって、逃げがなくなってからバラしてくれたものね」