"百万円を積まれても、他人に戻る" 第18話
い扉が閉まる音とともに、の因縁は、完全にへと葬られた。
退院の。 産個のドアをノックする音がした。
母に連れられて、葵と結が病へ入ってきた。
「お母さん!」
結が私のベッドへ駆け寄り、葵がそのしろで、緊張した面持ちでち止まった。 部の隅のソファには、事の取り決め通り、の面会を許された元夫がさくなって座っていた。
「葵、結、おいで」
私が招くと、はベッドの脇に置かれた透なコットを覗き込んだ。
並んで眠る、つのさな命。 ふっくらとした頬を寄せい、すやすやと穏やかな寝息をてている。
「ちっちゃいね……!」 結が無邪気に指をさして笑う。 「おてて、すっごくちっちゃい!」
葵は眠る弟たちをじっと見つめていた。 その瞳に、複雑な翳りが差しているのを、私は見逃さなかった。
「……お母さん」
葵が、さな声で私を見げた。
「この子たち……男の子なんだよね?」
「うん、そうだよ」
「この子たちが、おばあちゃんの言ってた『あとつぎ』なの?」
病の空気が、ふっと止まった。
ソファに座っていた元夫が、息を呑んで顔を覆った。 歳の女のに、あの老婆の呪いは、まだくを落としていたのだ。 男の子が産まれれば、自分と妹はもういらないになるのではないか。 そんな恐怖と、ずっとで戦っていたのだ。
私はベッドから体を起こし、葵の両を包み込むように握りしめた。
「違うよ、葵」
はっきりと、澄んだ声で告げた。
「え……?」
「この子たちは、葵と結の弟。ただの、弟よ」
「……ただの、弟?」
「そう。誰かのを継ぐためでも、誰かの代わりでもない。葵と結と同じ、お母さんの切なたからもの。それだけよ」
葵の瞳が、さく揺れた。
「じゃあ……わたしと結は、いなくならなくていいの……?」
喉の奥がくなり、界が滲んだ。 私は葵を引き寄せ、く、く抱きしめた。
「いなくならなくていいに決まってるでしょう! 葵と結がいてくれたから、お母さんはここまで頑張れたの。お母さんにとってはね、葵も、結も、この子たちも、誰として欠けちゃいけない、世界で番切な族なのよ」
葵のさなが、私の背に回された。 張り詰めていた緊張が解け、娘の目からぽろぽろと涙が溢れした。
その、ソファから元夫がちがった。 ゆっくりと歩み寄り、葵の目線にわせて膝をついた。
「葵」
元夫の声は、涙で濡れていた。
「お父さんが、全部違ってた。おばあちゃんの酷い言葉から、おたちを守れなくて……本当に、ごめんなさい」
に額がつくほど、元夫は娘のでをげた。
「おたちが女の子だからりないなんてこと、絶対にない。お父さんはもう度と、あんな馬鹿な言葉をおたちに向けさせない。
かけて、おたちの父親として、責任を果たすから……」
葵は泣き濡れた父親の姿を、静かに見つめていた。
すぐに笑顔でびつくことも、許すこともしなかった。 ただ、さく度だけ頷いた。 それで分だった。 が犯した過ちのさを、この男は背負ってきていけばいい。
翌週、私はの子供たちを連れて、しく契約した層アパートへと移りんだ。
引っ越しのトラックから荷物が運び込まれ、しい畳の匂いが広がるLDKの部。 当たりの良いリビングに、台のベビーベッドが並んだ。
葵は学へ通うためのランドセルを誇らしげに棚へ置き、結は畳のをごろごろと転がって笑っている。
夕暮れ。 田弁護士から、スマートフォンのメッセージが届いた。
『本、婚届が受理され、戸籍の分続きが完しました。公正証の正本も元に届いております。藤原さん、本当にお疲れ様でした』
画面を見つめ、私はく、く息を吐きした。
名字は、私の旧姓である『松本』へと戻った。 子供たちの戸籍も、すべて私の元へと移籍された。
もう、誰かの顔を窺って息を殺す必はない。 男を産まなければ価値がないと脅される々も、跡取りという名の見えない鎖も、ここには何つしない。
玄関のチャイムが鳴り、母が料理の鍋を持って入ってきた。
「美咲、お疲れ様。今夜はみんなでお祝いよ」
「ありがとう、お母さん」
リビングから、子供たちの賑やかな声が響いてくる。
ベビーベッドのでは、の息子がさなを元気にかしていた。
私は窓辺にち、夕に染まる並みを見ろした。
あの、元に投げつけられた婚届。 頬を打たれたのひらの。 『男の子が産めないならていけ』という濁った罵倒。
あの屈辱の瞬、私はっていた。 自分のお腹のに、つの男の子の命が息づいていることを。 けれど、私はそれをさなかった。
さなくて、本当によかった。
もしあの、エコー写真を差ししてそのを凌いでいたら。 私は、あの老婆の顔を窺う召使のままで、娘たちは者として蔑まれ続けていただろう。
私が勝ち取ったのは、男の子を産んだことによる赦免ではない。 理尽な差別に屈せず、自分の力で子供たちの尊厳を守り抜いたという、確固たる誇りだ。
「お母さん! ごはん、まだー?」
結の無邪気な声が呼んでいる。 葵が「結、洗いが先でしょ!」とお姉さんぶってを引いている。
「今くよ」
私は振り返り、しいがへと歩きした。
防犯用の鍵を、カチャリと内側から回す。 の世界のあらゆる悪を遮断するように。
私たちのしいが、今、ここから始まる。